伝統的な建物に足を踏み入れると、数百年前の木のぬくもりや、当時の空気が感じられ、そこだけ時間が止まっているような不思議な感覚を味わうことができます。休日は名建築を見に行きませんか?
北海道・余市町「旧余市福原漁場」
ニシン漁で栄えた北海道に建つ「旧余市福原漁場」。出稼ぎ漁師が暮らした番屋のなかでも、華やかなしつらえの建物は「鰊(ニシン)御殿」と呼ばれました。番屋内の漁師が生活する漁夫溜りは、寝床兼食堂として利用されました。
いろり端は船頭などの寝床、若い漁師は2階に作られた寝台で休みました。この、立体構造を有効活用して、数十人の漁師が生活しました。日に4、5度も食事をするので、板間が飯台になり、長靴を脱がずに利用できる工夫がされています。
東京都文京区 旧磯野家住宅「銅御殿」
山林王として知られる磯野敬氏が1912年、自邸として建てた木造3階建ての近代和風建築です。銅板葺き、銅板張りの外装から「銅御殿(あかがねごてん)」とも呼ばれています。頑強な造りで関東大震災でもびくともしなかったそうですよ。
東京に残る数少ない邸宅建築の一つで、「奥書院」の壁は左官の名人が11層も塗り重ねた丁寧な造りです。寺社の建築様式など伝統的な木造建築の技法や大工の創意工夫が随所に見られますよ。
名古屋市東区「名古屋市旧川上貞奴邸」
「旧川上貞奴邸」は、電力王と称された福沢桃介と女優第一号として有名な川上貞奴の邸宅です。財政界人のサロンとしても利用され、ステンドグラスのやわらかな光は、大正モダンを感じることができますよ。
自家発電装置も備えていた貞奴邸は停電知らずだったそうです。電動の噴水や邸宅を照らすサーチライトなど、当時としては先進の電化住宅!現在も創建当初の配電盤が残されているので、ぜひ見てみてくださいね。
沖縄県 竹富島の民家 上勢頭家
竹島島の集落は1987年には重要伝統的建造物群保存地区に選ばれました。その中でも、上勢頭家は防風・防水対策を考えた沖縄の伝統的な住まいで、80年以上住み続けられました。
上勢頭家の主家は広い座敷を中心に考えられ、南に大きく開口部を設け、窓も大きく取られています。床下や天井などには竹が組まれていて、さらに通気性をよくする工夫がされています。
ニシン漁で栄えた北海道に建つ「旧余市福原漁場」。出稼ぎ漁師が暮らした番屋のなかでも、華やかなしつらえの建物は「鰊(ニシン)御殿」と呼ばれました。番屋内の漁師が生活する漁夫溜りは、寝床兼食堂として利用されました。
いろり端は船頭などの寝床、若い漁師は2階に作られた寝台で休みました。この、立体構造を有効活用して、数十人の漁師が生活しました。日に4、5度も食事をするので、板間が飯台になり、長靴を脱がずに利用できる工夫がされています。
山林王として知られる磯野敬氏が1912年、自邸として建てた木造3階建ての近代和風建築です。銅板葺き、銅板張りの外装から「銅御殿(あかがねごてん)」とも呼ばれています。頑強な造りで関東大震災でもびくともしなかったそうですよ。
東京に残る数少ない邸宅建築の一つで、「奥書院」の壁は左官の名人が11層も塗り重ねた丁寧な造りです。寺社の建築様式など伝統的な木造建築の技法や大工の創意工夫が随所に見られますよ。
「旧川上貞奴邸」は、電力王と称された福沢桃介と女優第一号として有名な川上貞奴の邸宅です。財政界人のサロンとしても利用され、ステンドグラスのやわらかな光は、大正モダンを感じることができますよ。
自家発電装置も備えていた貞奴邸は停電知らずだったそうです。電動の噴水や邸宅を照らすサーチライトなど、当時としては先進の電化住宅!現在も創建当初の配電盤が残されているので、ぜひ見てみてくださいね。
竹島島の集落は1987年には重要伝統的建造物群保存地区に選ばれました。その中でも、上勢頭家は防風・防水対策を考えた沖縄の伝統的な住まいで、80年以上住み続けられました。
上勢頭家の主家は広い座敷を中心に考えられ、南に大きく開口部を設け、窓も大きく取られています。床下や天井などには竹が組まれていて、さらに通気性をよくする工夫がされています。
コツ・ポイント
日本各地に残される「名建築」は、伝統的な日本家屋あり、文明開化を思わせる洋館ありと、訪ねて飽きることがありません。ぜひ足を運んで、日本建築の奥深さにふれてみてください。